今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

土浦で絶品天丼を食べて、戦時中の予科練を考えた

 土浦に投宿したので、土浦の街歩きをばした次第。

 土浦は9万5千石の藩で、土浦城はその形から亀城と呼ばれていたようで、土浦城址である亀城公園を散策した後、先に語った通り、その向かいにある城藤茶店でモーニングを食した次第だが。

 その後、城下町である街中を歩くと、かなり蔵造りが多く、蔵造りの店舗が多く、そういう街並みでとても風情があった。

  そのうち、お腹がすいてきたので、昼食を食べようと考えていたところで、とても風情のある木造の店が。保立食堂 という天丼屋さん。

 直感で入ったら、これが素晴らしく美味しい天丼だった。

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 味が濃すぎるわけではなく、しかして、明治から続く伝統の味を感じた。すごくパンチのある美味しさというわけではないものの、本当に普通に美味しい。そういうのが素晴らしく美味しいと言っていいのではないかな。

 そして、付いてくるあら汁がが本当にうまい。

 最初は気づかず、天丼とあら汁って、頼んじゃって、あら汁はついてきますよって言ってくれてうれしかった。明治期からやっている食堂のようで、あら汁はその頃からのものらしい。継ぎ足しで作っているのかな。いやー、うまかった。

 

 さて、土浦と言えば、第二次世界大戦時、日本海軍の土浦航空隊があり航空兵を養成する、予科練が置かれた阿見町至近の軍都としてあった場所。

 だから、霞ヶ浦を学ぶとともに、予科練についても学ぼうと予科練平和記念館に行った今日。

 予科練の学生は、14歳から17歳くらいで入隊し、当初は3年くらいかけて養成され戦闘機乗りとして飛んでいたものの、それは戦局悪化とともに短縮されで、多くは特攻隊に組み込まれ、亡くなっていった方が多かったとのこと。

 予科練卒業生の8割は戦死したとのことだった。

 その予科練の航空兵たちが、たまの休日には土浦の街に繰り出して、つかの間の余暇を楽しんだようだ。

 その時の指定食堂のひとつにこの保立食堂が指定されていたとのこと。若い子たちのこと、天丼とかは大好きだったのだろう。その店の人の証言が記念館では読めたのだが、天丼、親子丼はもちろんのこと、年若き航空兵が食べたがったうな丼を25銭という安価で出すために、小さいうなぎを融通してもらって出したとか。

 特攻で死にゆく者も多い中、予科練生が食べていたのだろうと思うと、感慨が深まった次第。

 予科練のことを学ぶに、やはり、戦争というものは絶対悪だという思いを新たにした。