今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

東日本大震災の日、数字の付いた銀行 七十七銀行と共に、仙台を思い出す

 最近、仙台での日々を思い出す。もう四半世紀くらい前の話になるのだけどね、東北は宮城県の仙台に住んでいた。

  先日も・・・

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  などと語っているが・・・なんか思い出すんだよね。宮城県を、仙台を。

 

 話は変るが、数字の付いた銀行ってあるよね。明治初期の国立銀行が第~銀行と~が数字だったことに由来して、それが普通銀行に転換していったことにより、まぁ、数字のままの銀行ってのがある。地方銀行なんだけどね・・・。

 そういった銀行名を見て、ふと、宮城県の代表的銀行の七十七銀行を思い出したりしてね。

 宮城県においては、七十七銀行にあらざれば銀行にあらずと思うくらい、支店が数多くあったし、仙台に住むにおいては七十七銀行をメインバンクにするのが郷に入れば郷に従うというものにさえ思えたくらいだ。

 七十七銀行の支店が近くにあることがなんかうれしかった思い出があるし、仙台での住まいを決めたきっかけでもあったような気がする。

 

 今日は、かの東日本大震災からちょうど10年の日である。

 仙台を離れた頃は、青春を過ごしたかの地が懐かしくてその日々に戻りたくて、でも、戻れなくてみたいな思いをしていた。まだ、仙台にいる知己を訪問させてもらって寂しさを紛らしたこともある。

 それから、ずーっと現実と直面し続けて、仙台に戻り住むことはなかったところで、10年前の震災である。

 東北地方が甚大な被害を受けて、それ以来、仙台は郷愁の地に加えて、被災地という側面が加わり、直視できないものになった気がする。

 ただ懐かしんでいればいいものではなく、被災者のことを思うに苦しくなるからだ。

 

 最近、仙台のことを思い返せるようになったのは、10年経ってある程度震災のことを消化できたからだろうかとも思わぬでもない。コロナ禍という新たな災害にあっては、昔への郷愁が強まったせいだろうか。

 

 もちろん風化させてはいけないのが震災の記憶ですが、それに縛られて仙台への郷愁が抑圧されるのも素晴らしき日々だっただけに悲しい。いつか、心新たに仙台に行ける日が来たらいいなと思う。

 

 10年経ちましたが、東日本大震災の被害者の方々には心よりの哀悼の意を表します。