今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

冴えない中年は年賀状を作ることに逡巡す

 さて、11月になると日本郵便が年賀状を売り出し始めて、街なかでも見かけるし、CMとかも始まる感じで、そうだもう年末だねぇと思わぬでもない。

 年賀状はいろいろ複雑な思いが出てくることはよく語っていることだが・・・

 

 複雑というのは・・・

 

 面倒だとかそういう単純な悩みじゃない。もちろん、年賀状作成は面倒でもあるが、メールとかSNSとかの普及で紙の年賀状の必要性が薄れたとかの問題でもない。それらくらいでは複雑な思いにはならぬ。

 

 年賀状の送り先、それは親戚であったり旧来の公私共の知人友人ということになろう。

 故郷に錦を飾る という旧来の言葉がある。昔から、長年生きてきたら、故郷に錦を飾るが如く一定の成果を収めて帰りたいものだという思いがあった。しかし、人生50年を迎えんとしている中年の今、もはや飾るべき錦は期待できない。出世できないとの愚痴はみなさん聞き飽きたろう。この先のポテンシャルとしてももはや・・・。また、子もいない。これも・・・。

 

 ということで、親戚であったり、公私共の知人友人という、いわゆる知己への年一回の人生報告みたいな色を帯びる年賀状は誇るべき何かがない冴えない中年に成り下がった私に何が表現できよう・・・という・・・

 

 複雑な思いとしか表現し得ない想いになるんだよね。

 今までさほど強調はしてこなかったが、近年は毎年そんな思いをするので年賀状をどうしようかとさえ思うくらいだ。

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 2019年末、2年前の語りだが、やはり気が重かったようで、お酒を飲んだ翌日、お酒を飲むと睡眠が浅くなり早起きしてしまうので、年賀状を作ったと言っているが、今回も昨日そこそこ飲んだ後で、早起きしたので、昨日の酔い心地で作った年賀状を仕上げた。

 

 年賀状を作ることは、パソコンでのデザイン作業だから面倒とは言えそこまで嫌ではないのだが、前述の通り人生の快哉事項を選ぶのが大変なのだ。何の写真を使う?ってね悩む。私にとっての快哉事項って・・・どこに旅したとか、コロナ禍で旅もなかなかできなくなってきたから、これ釣りましたくらい。妻はこの写真は写りが悪いとか・・。

 

 でも、もはや故郷錦系の快哉事項なんて見栄を張らなくてもいい、生存報告としての年賀状を作ることに徹しようじゃないかと思いつつ、今日作り上げて、妻にも見てもらいOKをいただいた。

 

 生存報告としての紙ベースの年賀状は必要だと思うからして、複雑な思いは隠して今回も作り終えられて良かったよ。