今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

丸馬出(三日月堀)と真田丸

  

 さて、今回は静岡県島田市の金谷あたりにある諏訪原城趾に行ってきたことは先に語ったとおりだ。かの武田信玄の息子である武田勝頼が家臣に命じて徳川家康が治めていた遠江国(浜松あたり)を狙うのに築城させた城とのこと。

 

 その経緯を知り興味を持って行くこととしたのだが。

 

 武田式築城術が如実に表れている城であることは丸馬出と言われる防御用の曲輪とそれに伴う三日月型の堀に現れているのはすぐに分かった。

 これで思いだしたことがある。

 大河ドラマ、最近は、「鎌倉殿の13人」にしても「どうする家康」にしても見まくっているのであるが、年のせいもあるかな。50代になってすごく落ち着いてみられるようになってきたから。

  以前はそこまで、大河ドラマにはまり込んではいなかった。

 だから、大河ドラマは特に興味があるときだけ見ていたんだが、その特に興味があったのが「真田丸」である。

 「鎌倉殿の13人」と同じく三谷幸喜脚本であると言うこともあったのだが、面白かった。

 

 その真田丸

 大阪城に作られた、丸馬出だったんだよねと気付いた。ここに来て気付いた。

ja.wikipedia.org

 丸馬出だったのか五角形の形だったのかは議論があるようだが、大阪城の出丸であったわけで・・・丸馬出出会った可能性も大いにあるらしい。

 真田幸村の出自の、真田家が、かつては武田氏の重臣で合ったことを思うに、納得である。

 

 武田式築城術の大きな特徴が丸馬出だと思うと、すごいもの見たんだなぁと思いつつ、諏訪原城行って良かったなぁとしみじみ思った次第。