今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

嘉手納の壁

 嘉手納基地・・・名前はよく知っていた。嘉手納を「かでな」と読むことも。そして米軍基地があることも。
 しかし、そこがどんなところか、身体で感じたのが沖縄最終日であった。

 沖縄最終日に、以前語った事実上日本最古のショッピングセンターたるプラザハウスショッピングセンターに行った後、道の駅 かでな に行った。 
 そこにある学習展示室で、嘉手納が置かれた現状をまざまざと知ることになった。
 下記を参照されたい。
 道の駅かでな 嘉手納基地について

 日本が敗戦した後、それまで生活圏としていたところが鉄条網で仕切られ、旧日本軍の飛行場が拡張され米軍基地になっていて、お墓なども基地内に入ってしまった場合もあり、嘉手納の民はその後狭隘な区画で生きることを強いられたという現実をまざまざと見てきたことになる。

 ずーっと続く、嘉手納基地の塀はまるで、ベルリンの壁のようにそびえ立っていた。

 まさしく、生活圏を分断して行き来ができなくなるという点で、ベルリンの壁と同じ意味合いを持つものであろう。その点は衝撃的に感じられたし、道の駅 かでなでの学習展示室での訴えもそこを強く訴えてくるものであった。
 沖縄は琉球が中国との交流が多かったという点での文化的に異国的であるということは理解できる。しかして、強制的に壁で区切られ、その中にアメリカの町ができているという状況、そしてその影響でアメリカナイズされていくという状況における異国的という二面性があることが分かった。
 そう、コザとかでの異国的は後者のもの。以前語った今帰仁城跡や、また、首里城などの異国的は前者のもの。
 後者の異国的は、やはり強制的という点で前者のものとは大いに違うのかなと感じられたのだ。

 こういうことは実際その場に行き、目で見て感じなければわかり得ない部分と思うのだ。貴重な見聞だったと思う。