今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

釣り場がなくなる仕組み

 コロナ禍になり色々な変化があった。

 ただ、かなり醜い様相を呈しているのが釣り場の混雑っぷりだろう。

 何度かここでも語ってきている。

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 そして、いやな思いもした。

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 密にならないレジャーとして釣りが大ブームで、マナーを知らない若者なり家族連れなりが押し寄せて、限られた釣り場が荒らされていく様子。これはまったくもって醜いとしか言いようのない有様であった。穏やかな私の妻でさえ怒りを覚える衆を頼んだ若者の行状もそうだし、その後も、釣れるという情報がある場所はことごとく人があふれた。24時間入れないくらい。これをひどい状況と言わずになんと言おう。

 報道で見る限りは、釣りブームは私の見る限りだけではなく、あまりにもブームで虫エサが不足してお店も困っているがごとくの報道があったので、尋常ならざるブームなのだろう。

 

 さて、コロナ禍以降、海沿いの釣り場にはなかなか入れなくなった。だから、あまり寄りつかなくなったんだよね。

 一過性のブームならそのうち飽きるだろう、冬になったら釣れなくなるから飽きるだろうと思っていたが、この釣れない1月、2月になっても海沿いの釣り場は空いてると言うほどではなかった。

 

 そうなのか・・・。コロナ第2波も来た所で、多分釣りブームは終わらないのだろう。そして、にわか釣り人達であふれ続けるのだろうかね。

 

 そう思っていたところで衝撃的なニュースを知った。

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 冬の12月でもアジが釣れていたので、人であふれかえっていたようだ。マナーの悪さも聞こえてきていた。アジが釣れているとなれば行きたいのだが、行けなかった。いやな思いをしそうでね。心配していたが、車両進入禁止になってしまった。

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 乙浜は何度も釣りに行き、かなり私の釣り人生の初期の頃から。とても思い出のある地だし、南房総もかなりの突端でアクセスも悪いからそんなに混むこともなく快適に自然を感じながら釣りができるとこであったのに、今や地元に疎まれるくらい外部からの釣り人であふれちるとのこと。まぁ、私も外部からの釣り人なのだろうが、マナーは守ったつもりであるが。

 とても寂しい。

 

 こうやって釣り場がなくなっていく。それは、外部からの釣り人があふれかえり、ゴミの始末をしないなどの迷惑行為、また、あふれかえっていることが地元の迷惑になることで釣り場の閉鎖が起こるのは自明だが。

 

 共有地の悲劇

 

 これが釣りの世界でも起こったのだと思う。共有地の悲劇というのは、私が初めて知ったのは情報科学的なことを研究していた時。

 あるリソース、例えば、それが電波帯とかでもいいのだけれども、共有にしているとそのリソースが食い尽くされてしまうという例え。

 ITの世界で考えれば、だいたいの携帯キャリアなり、格安SIMは上限データ量を定めている。昔は使い放題が多かったのだが、そうすると多くの人が動画を見たり配信したりして、多くのデータ量を使うので、リソースを使い切っちゃうわけだよね。

 共有地の牧草を、放っておくと自分のところの家畜を養うために食べさせてしまって共有地の牧草がなくなってしまうということたとえているのだが、釣りでもそれが怒ったわけだ。

 漁港なりの釣りができる場所は限られたリソースだ。それを食い切っちゃうわけですよ。わーっと人が押し寄せることで。

 

 共有地の悲劇を防ぐためには適切な管理が必要だとのことで、携帯キャリアとか格安SIMならデータ量制限を設けるしね。釣り場だったら、お金を取っての管理釣り場にするとかの方策があるが、多分、あまり実現しない。神奈川にも数カ所しか管理釣り場はないし、それら管理釣り場にしてもあまりの釣りブームに対応し切れていない。

 

 悲しいことだ・・・。

 

 私が釣りを始めたのはそんな安易な気持ちじゃない。

 もう、人生負け組感がたちこめて、それでも働いて生きていかなきゃいけない。

 誰もが思うのではなかろうか、老後はゆっくり釣りでもして過ごしたきと。

 そんなやわい夢想じゃないんだよね、私のは。

  もう、人生消化試合なら釣りとかしていればしのげるんじゃないか。この年齢になっても楽しく思えるのであれば、一生の趣味にできるんじゃないか。そんなことで、陸っぱりの釣りをし始めて数年。

 にわかのブームで共有地である釣り場が、にわか釣り人によって蹂躙されてなくなってしまう。冗談じゃないと思う次第。

 コロナも過ぎ去るのをじっと待つ今、自分勝手な釣り人がいなくなるのをじっと待つ時ではあるのだろうが。