今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

9年前の陰鬱とした雰囲気と共通するものはあろう

今日は3月11日、東日本大震災から9年経った。神奈川住まいの私も被災した。

福島等の東北、千葉の外房に比べれば大したことはなかったかもしれない。被災者というのはおこがましいという思いもあった。

でも、計画停電も受けたし、あの陰鬱な雰囲気は今のコロナ騒動の陰鬱さに通じるものがある。その雰囲気をもろにくらったのは十分に被災者感があるとは言えるのだろう。

東北は仙台にて青春時代を過ごし、東北の知己もいる中で、9年前の今日は神奈川住まいだったので、被災者を名乗るのはどうも・・・という遠慮はあった気がする。

ただ、2011年以降、仙台から旧友が来て会った時、私のことも被災者として思いやってくれたのが印象に残ったのだ。旧友の方が大変だったのだ。でも、私のことも思いやってくれている。そうか、被災者と思っていいのだ。そう、実は計画停電も大変だったんだ。神奈川住まいの私は計画停電をくらったが、どうやら東京23区はするすると言いながら結局なかったようだった。なんだかなぁという気はした。 small-editor.hatenadiary.jp

  2011年3月27日の語りでかように語っている。計画停電を何度かくらい、週末は停電はなさそうだよかった・・・とか語りつつ、あまり籠もっていて、陰鬱になってしまったので、久々に房総半島に出かけたことを語っている。房総半島の、保田の漁協直営のお店が計画停電でも営業中と掲示を出していてうれしかったことを語っている。多分自家発電があるからだろう。

 

今はコロナウイルス騒動である。いつになったら収束するのか見えない不安。陰鬱としている。この前の週末なんて、一歩も外に出なかった。あり得ないことだが、今ここにある陰鬱。今回は神奈川の方がコロナウイルス禍は近い気がする。

 

どちらにしてもこの陰鬱な感じはいやだし、計画停電にしても外出自粛にしても、放射能への恐れにしても、なんか陰鬱感は共通するような気がする。

 

今回のコロナウイルスでなくなった方もいますし、もっと多くの東日本大震災の被害者の方々もいらっしゃいます。いずれも心よりの哀悼の意を表します。