今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

黒い澱、ストレスって解消なんてできないかもしれないけど

 ここでは何食べたとか、何釣ったとか、結構無難なことを語ることが多い。結構人気もある記事かもしれない。美味しそうに食べて何が美味しかったとか、こんな魚が釣れたってのは見ていて心地よいものであることが多いから。

 

 しかし、それは本当に無難だろうか?

 

 どうして美味しいものを求めて行くのか、釣りに行こうとするのか・・・その動機の原因として渦巻くものは決して無難ではない。

 ストレスという名で一括されるが、仕事等で溜まった澱のような、色で形容すればどす黒く自分を苦しめるもの・・・それらを吐き出すために一生懸命美味しいものを食べようとしたり、好きで好きではまっている釣りに行ってどうしても釣りたかったり。あとは温泉行くのもいいよね。サウナのどはまりしていたよね・・・汗と共に黒い澱が流されていく気分は良かった。

 

 所々過去形が混じるのは、コロナ禍以来のこの一年でできなくなったことが多いから。禁じられているわけではないが、裸で密室でというサウナは密な環境ゆえ行けなくなった。ちょうど1年前のリゾートホテルでのサウナ、これが最後。サウナ室での一人の瞬間を狙って用心して入ったのが最後。まだ、国内での発生もわずかだった頃だが。

 温泉にもなかなか行けなくなった。共同で入る浴場には入る気になれなくなったのだ。だから、昨年の夏頃、個室の貸切風呂を予約して群馬県伊香保温泉で入ったのが最後だなぁ。

 かように、コロナ禍での一年で、ストレス解消のための方法が大いに変った。温泉にも行けず、あんなにどはまりしていたサウナにも行けず。

 

 そして、中年。今までのキャリアを活かしてバリバリと働いていて認められて立身出世って言うの?をしていればともあれ、愚痴っぽい時に私がよく使う、人生消化試合みたいなね・・・人生失敗してしまっている私は、それこそ、溜まる黒い澱もすさまじいんだろうね。若い頃、ポテンシャルって言うのかな、潜在可能性が多くあった時にはそこまで澱も溜まらかったのだろう、休日って言ったってFMラジオを聞いているだけでぼーっとしていて肉体的な疲れを取っているだけで満足だったこともよく覚えている。

 

 今じゃ、それじゃいけない、生きていくために、働き続けるためになんだろうね、なにがなんでも美味しいものでも食べて、楽しいことして黒い澱を吐き出さねばと右往左往している。

 

 その結果が、こんな美味しいもの食べた、これ釣ったとかなのだから、冒頭に語ったとおり、動機を考えれば、それらの記事は決して無難ではないのだろう。

 

 さて、人生消化試合な中年な私が、近年どはまりしている趣味が釣りだ。黒い澱を吐き出すために必要不可欠なものとなっていった。釣れなければより澱が溜まるのだが、釣れた時の爽快感で一瞬忘れられる。それだけどはまりしたのだが、コロナで行けなくなってきている。これはもう我慢ならない部分は否めない。

small-editor.hatenadiary.jp 

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  これらの語りで語っているが、コロナ禍でもできるレジャーとして、にわかに増えた初心者釣り人。若者、ファミリー層が多いが。

 中年の人生消化試合のオヤジが、ある意味必死になってやっていた趣味の場を、若者なりファミリー層が衆を頼んで場所を占拠することで、食いつぶしていく。だから、まともに釣りに行けなくなった。なんだよ・・・。

 

 今は2月。昨年くらいの釣り場の混みで空いていても、釣れないから、行くのはためらわれたかもしれないが、それでも釣り竿を出しに行くのがためらわれる混雑状況が予想されるってこともなかったからなぁ。中年期最大のストレスコーピングの趣味としての釣りもコロナに潰されるのではくやしいな。

 

 このコロナ禍の一年間で大きく変ったのは、ストレス解消の方法。

  昨日の語りである。

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  ストレスとの戦い方とか題して語っているが、お弁当持ってピクニックとか、決して考えられなかったストレス解消法。ファミリー層がするような感じだよね。いい大人はもっとアクティブにしたいじゃないか、だから今までは見向きもしなかったがね。でも、いまじゃそれでも上等なの?

 

 こうやって、黒い澱を吐き出して、また、仕事に行く。

 

 マルクス資本論で語った、労働力の再生産。土日で精神的な疲れ、肉体的な疲れを回復させて、労働力としてまた働く。賃金はそのための金銭的補償という概念なのだろうかね。

お題「#この1年の変化