幼少時、私がまだ酒を飲んでいい年でなかった時に、よく父は私に「このビール、大瓶じゃない?ね?」と聞いてきていた。
私としては大瓶であるとどう良いのかもさほど分からなかったのも事実だが、繰り返し聞かれていく内に段々分かってきた。
大瓶は633cc入っている。中瓶だと500ccだ。昔の飲食店では「瓶ビール」としか表記していないところも多かったので、頼んでみて初めて分かる、中瓶か大瓶かが。
中瓶ではなく大瓶が出てくるとよりたくさん飲めるから父はうれしかったのだろう。
私が大瓶が633ccだということはずいぶん前から覚えている気がして、それは父から教わったのだろうから、父だって、自分で裏の表記を見れば大瓶か中瓶かは分かったんだろうけど、私に「これって大瓶じゃない?だよね?」と問いかけることで喜びを共有したかったのだろうか。
どっちが出てくるか分からないところで頼んで大瓶だとうれしい、これはなんかくじ引きで当たったような喜びがあったのかもしれぬ。
まぁ、量が多いことへの喜びは共有できるとしても、お酒も飲めなかった私はお酒がたくさんあることへの共鳴はできなかったかなぁ。
私も成人して、酒を飲むようになり、大瓶かぁとか意識することも多くなった。
さて、昨日は妻と共に一杯飲みに行った。
そのお店は、「大瓶」ってメニューに表記されていたから、なるほど、大瓶なら、700なんぼの価格でも、外飲みだからいいかなと頼んだ次第。
キリンかサントリーかの二択だったからキリンを選んだ。サッポロがあったら迷わずサッポロなんだけど、この場合はキリン。そう言えば、父はキリン一択だった。シェアナンバーワンだということが理由だと語っていた。
お酒を知らなかった私も今や、3度注ぎとかしてしまったりする。妻はあまり飲まないから少なめに注いだり。
何か父の思い出に絡めて大瓶の話をしてしまったが、父は存命である。