今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

おせちはやめた

 さて、今回はコロナ禍ということもあり、おこもり正月という方も多かろう。

 テレビを見ていて、おせちを自作してみようと思いますと言う若い男性もいたりして・・・なるほどと思ったりした。

 おせちってそれほど日本人にしみ込んだ風習なのだと。

 正月三が日は商店が閉まるところが多く、おせちのような日保ちのする料理をというところから来るのだろう。また、数々の縁起を担いだ食材を食べることによりいい年を願うという験担ぎ的要素も強いと思われる。

 

 さて、確かにコロナ禍で、元日や、二日はスーパーも閉まっているところが多かったから保存性の意味でおせちというのは良かったかも知れないが、冷蔵庫の普及率も100%に近いであろう現代日本において保存性を追求する必要があろうか。正月に調理できる食材が冷蔵庫にあれば特におせちを年末に作る必要はあろうか。夫婦二人だけの私たちにとってはそんな思いが常々あった。だから、その意味でもおせちは辞めてもいいのかなと思いつつはあったが、なんかおせちっぽいものを買っていたことが多いと思う。 

 あと験担ぎ・・いろいろあるのだが、簡単に分かるものとしてほぼ正月しか食べないものとして「数の子」ってあるよね。ニシンの魚卵の塩漬け。これは私は大好きなので、幼き頃実家では食べ過ぎるなとよく怒られていたものだが、数の子はもちろんその卵のつぶつぶがたくさんあることから、子宝祈願であることは自明であるのだが・・・

 ここでも子なし夫婦の哀しみみたいな愚痴を語らせていただいてお耳、お目汚ししていることもあるくらいのコンプレックスを抱いていることに関して験を担ぐ必要はなかろう。数の子は好きだけど結構高いし・・・。ということで、バチンとやめてみた。

 あ、魚卵だったら、年末に釣れた立派なハゼから卵が出てきて、あまりにも立派な卵だったので煮付けて食べたし、年末のうちにね。ま、験担ぎはしたわけではないか。f:id:small_editor:20210103161855j:plain

 あと、ハス(れんこん)もおせちには結構出てくるのだが、将来を見通せるようにって験担ぎなんだよね。穴が空いているから。

 これもさ、常々ここで愚痴らせていただいている、ほぼ出世しないまま年くってポテンシャルもないしなぁなんて私にはあまり意味ないじゃんと。まぁ、ハスも無理して買わず。

 

 保存性と験担ぎという要素から考えてもうちにはおせちは要さないなと、今年はおせち料理は作らず、買わず、好きなものを作って美味しくお酒を飲んでみたいな感じの正月にしてみた。

 

 呪縛とも言える強度に浸透した風習であるおせちをやめてみると、夫婦二人ぐらしの場合は結構楽って言うか・・・そんな感じで楽しく正月を過ごしたかなぁという次第。