今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

「ふつう」になんて生きられるはずないじゃないか


 昨日の一語りにて「「ふつう」に生きるのは難しいのではないか」と問題提起したが、より進めて語ろう。


 今までの歴史として、確かに、高度成長期という名の下に、何十年も、若くして身を固め家を持ち子孫を残すという堅固にも思えるレールが敷かれてきたように思えた。


  だから、私は30代後半であるがその親世代(高度成長期世代とでも呼ぼうか)がそれを「ふつう」としてその子世代に期待してくるのも無理はないかもしれない。


  また、マスコミなども初婚年齢が上がっている状況、未婚率の増大状況などを取り上げるに、昔、そう、高度成長期を基準に比較するから、我々の世代はあたかも「ふつう」でないように見えてくる。高度成長期世代の親たちが私たちを、どうして「ふつう」に生きれないのかと言ってしまうのも理解できなくはない。


  ただね、たぶん我々世代は、高度成長期世代と同じかそれ以上は努力をしなければならない境遇に置かれてきた。ただでさえ子どもが多かったので、受験は苛烈をきわめた時代だ。大学なりを卒業してみれば就職だって厳しい時代である。努力をしなければ生き残れなかったとも言える。


  それだけ努力をしても、それくらいの努力をすれば、多くは家庭を持ってマイホームも夢ではなく、私たちを育て得た高度成長期世代に及びもしない現実が今ここにある。 好き好んで晩婚化しているわけではない。派遣労働をしていたら経済的にも家庭を持つのは無理が出てくるのは自明であったりするわけだ。男だからとて正社員でバリバリ家庭を支えるに至るほどの潤沢な年収を得ている人は多くはなく、女性も一緒に働くには保育制度の整備の遅れが目に付きすぎるくらいだ。その上、家を買えったって、そこまで将来への不安がある中で安心して買えようか。


  だからね、高度成長期世代の「ふつう」をもって、なぜ子がいない、なぜ家を持たないと迫られたとて、無理っちゅー感じなのである。  「ふつう」になんて生きられるはずないじゃないか・・と訴えたいところなのである。


  高度経済成長期世代は、いわゆる団塊の世代と称せられることが多い。団塊の世代の特徴として今の日本を作ってきたのは自分たちだという自負が強く、主張が強いことでも知られる。 それに反して、我々団塊ジュニア世代はどうにも主張が弱い。 どうして「ふつう」に生きられないのか!と迫られてシュンとしてしまうことも多かろう。


  しかし、堂々と主張していいと思うんだ、あなたたちの言う「ふつう」になんて生きられるはずないじゃないか!と。そしてその「ふつう」に縛られる必要もないと思う。


  われわれは我々なりの「ふつう」を決めて、それを達成できれば良しとしたらいいんじゃないか。