今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

釣れたよアジが、うれしい。

 先日、魚屋に鮮魚を買い求めに行ったらサンマがえらく安く売られていてよかったという話を語った。

 私が鮮魚を仕入れるようになったのは、釣りを始めて、釣り人になったからで。釣り人になったから釣れた鮮魚は自分で捌く。

 釣れなければ鮮魚を店で買えれば買うと加工賃がかからないから安く上がる。例えば、新鮮な鮮魚を捌いて寿司にしたとするとかなり安くあがるのだ。回らないお寿司がお好みであれば、自分で握ればかなり安く回らないお寿司が食べられる。寿司職人も他人が食べるものを毎日毎日大量に作らされているわけだから技量は落ちれど気持ちのこもった丁寧な握りを自分なら出来るわけだ。自分で捌けば一貫何百円ということにはならないからして。

 だから、釣れない場合はせめて鮮魚があれば釣り人の加工の楽しみとお得感があるわけでいいのだが、やはり釣りたい。

 ということで、釣りに出かけた。

f:id:small_editor:20240902194850j:imageなんとか釣れた1匹目。小さいサッパ。東京湾では珍しくない魚。でも歩留まりが悪くあまり美味しくないから、これでは求めていた鮮魚ではない。リリースした。
f:id:small_editor:20240902194854j:image立派な大きさのコノシロ。これも小骨が多く食べにくく、独特の臭みがあったりして、妻が苦手としていて、やはり求めていた鮮魚ではない。

 隣で釣っていた釣り人のが結構釣っていた。求めていたアジを。

 その釣り人はちょっと離れたところに行き釣り上げていたからして、真似て、その場所に行って竿を出したら釣れた。
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 アジである。やはり、釣りたければ上手い人のやり方を真似るというのは非常によい方略である。そこになんか自分のプライドを入れるのは巧くない。

 そうしたら、その隣の釣り人がよろしければと釣ったアジを分けてくれた。本当にうれしい。私が釣ったのは2匹であるが、頂いたものを加えれば十分に「なめろう」を作れよう。

 「なめろう」は千葉県は房総半島のソウルフードで、新鮮なアジがなければ作れぬ珍味である。

 自分の釣った2匹では足りねど、頂いたアジを加えれば作れる。よかった。