以前、静岡県の伊豆の国市、江間のあたりには、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のロケ地巡りで来た。すなわち源頼朝の即席を辿ったのだ。源頼朝が流されたと言われる地が近いのだ。頼朝を見張る役として北条氏がいて、北条邸があったのが江間のあたり。
その近くにあるのが蛭ヶ小島で、そのあたりに源頼朝が配流されたと言われている。
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その至近に韮山反射炉がある。
世界遺産にも登録されているということで、興味深かったし、静岡県伊豆の国市の韮山の辺りが源頼朝配流の地というのは大河ドラマがきっかけで知ることとなったが、韮山反射炉があることは日本史上の重要な歴史として学んで知っていた。
江戸時代の幕末、黒船が来たショックで海防の必要性に気付いた江川太郎左衛門英龍が構想した、大砲を作るための鋳鉄をするための溶鉱炉がこの反射炉であるということはなんか大体知っていた。よほど、源頼朝の足跡より詳しく寝。
だから、源頼朝配流の地としてここを訪れた時にここを見てもよかったのだろうが、そもそも平安/鎌倉時代に思いを馳せて来ていたのに、いきなり、思いを江戸時代にシフトすることができないで行けていなかった。
今回、近くに来ることがあり、妻も興味を持っていたようなので、来てみた。
韮山反射炉
なんか、良かった。この反射炉で、大砲を作っていたのかと思うに興味深かった。
これは溶鉱炉の一種であるし、現在ではもっと効率的な方法で製鉄所は運営されているのだろうが、黒船ショックで、海防を強めようとこの反射炉で鉄を溶かし大砲を作っていたのだろう。
東京湾の台場・・・お台場とかだよね・・・に設置されるも、使われることもなかったのだろうというところまで思いを馳せるに、うむ・・・。
現代にまでその遺構をとどめるということで世界遺産たり得たのだろうが、それだけではなく、日本史の歴史の流れで見ると、反射炉を作り大砲を作るという多大な努力も結果的には功を奏さなかったということになる。
歴史を学ぶというのはそのような轍を踏まぬようにするためとも言えるから、その意味でこの反射炉を眺めると考えさせられるところがある。
日本史で学んだのだが、中学生くらいの頃か。それから30年以上を経過してからその地を訪れることができた。そこはかとなく、良かったなと感じた次第。