今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

うまくいかないんならば、桜の花を愛でてみようというスローライフ術


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 今日はとても晴れ渡ったので、桜を観に妻とお出かけ。こんないい感じの桜が観られて大満足。


 今年は桜前線はどこまでだ?と気にしながら最近を過ごしていたし、何回か近くの花が咲いているところを下見していたりもした。


 満を持してお出かけした今日、こんな素敵な桜が観られたのでよかったのだ。


 昨年はというと・・・2005/4/11一語り「私の花見の変遷」に語ったとおりだ。それを見る限り、ここ数年・・・だんだんと桜という季節の変わり目を象徴する自然の移り変わりに目を向けているのが分かる。


 桜の開花はまだかなぁと心待ちにし、咲いたら咲いたで観に行く。かなり暇な動作である。


 暇という言い方で語弊があるならば、最近はやりのスローライフな動きである。ちょっと若さを感じない部分もある。


 若い頃、ばりばりやっていた頃・・・たとえば受験でもいい、就職でもいいのだが、そういう時は、気ぜわしすぎて、花などに目を向ける暇はなかった気がする。外資投資銀行等でのディーラー出身の幸田真音さんの小説に、そういえばこんな風に昼間道を歩いて自然を見るのなんて何年かぶりだろうか?と自問する若者の証券トレーダーの主人公が出てきたのを記憶しているが、今をときめくマネーゲームにいそしむ人たちには、想像もつかないスローな動きなんだと思う・・・桜がいつ咲くかなぁ、咲いたら観に行ってしまうような動きは。


 ちょっと風は強かったけれども、今日みたいに晴れた日に、桜を愛でられたのは、やはり素直にうれしかったし・・・このスローさはかなりのぜいたくなんじゃないかな。


 今年がすごく花を見たかったのは、ここ数日来語ってきている感情の揺れ、悲しみに関係ないことではないだろうし、また、加齢という要因もたぶんに入っていることではあるだろう。そして、なにかにそんなにあくせくしても、うまくいく時といかない時があるということで。そういう時はゆっくり花を愛でているのもいいものじゃないだろうか。


 また、最近貧乏話が多いが、実際お金に余裕はないので、桜を愛でるというのは、そこに行く交通費くらいでそんな出費にならないのでいいわけだ。


 タイミングが合わなければうまくいかないこともあるだろうし、うまくいかなくても・・・いいじゃないかというわけで。


 うまくいかないんならばスローライフというのに流れてもそれはそれでいいものだな・・・そんな風に感じたわけで。


 そういう充電を通じてまたがんばれるんじゃないかな。