今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

一軒家的ゲーテッドコミュニティを目の当たりにして

 格差社会を肌で感じた瞬間 - 今日の一語り(はてな Ver.)・・2006年7月に語った語りである。その時、マンション型のゲーテッドコミュニティ- Wikipedia)を目の当たりにし、実質的平等のみならず機会の平等さえ担保されていなかったのだと格差社会の現実にショックを受けた思い出があるが。

 爾来10年近く経った今、またしてもゲーテッドコミュニティに衝撃を受けたのが、今回の衝動的群馬旅の途上であった次第。

 群馬県は長野県と隣り合わせだが、交通的には、碓氷峠を越えると、長野県に入り、かの有名な避暑地の軽井沢町。そこから鬼押し出しの方へ行くと、また、群馬に戻り嬬恋村になるという少し入り組んだ地形であるからして、嬬恋に向かおうとすると必然的に軽井沢町を通ることになることが多いわけだ。ということで、軽井沢町を通った時に・・・軽井沢と言えば伝統的な避暑地。保養所もたくさんあり、別荘地もたくさんあることは知られているが・・・

 別荘地全体をゲート管理して、少なくとも車両は入れなくしている一帯に出くわし、びっくりするとともに、確かに海外ではそういう地域全体をゲーテッドにするのはあるとは知っていたものの、国内でもあったのかぁと。

 私有地であれば、もちろん塀で囲んだって門を作ったって自由なわけだが・・・郵便配達に新聞配達、荷物配達等の便のために、私道であってもゲート管理することはほとんどないのが日本であったと思うし、そこが日本の治安の良さの象徴であったと思っていた。

 しかして、別荘地というマル経的用語を借りれば資本家階級、もしくは特権階級のコミュニティはゲートで他者を排斥する要があるのかというところに・・・世知辛さも感じつつ、衝撃も感じつつ・・・庶民のひがみでもあろうとは思うのだが、ショックだったことは確か。

 郵便屋さんとかどうやって入るんだろうねと思いながら立ち去ったわけだが。

 若ければゲートの中に入りたいと、他を蹴落としてでも出世しよう、出し抜いて利益を出そうとか考えて動くのかな。
 もう40代の中年になった私としては、そうするバイタリティもなく、しかして、その矛盾を感じるくらいの思考力はあり・・・というところで複雑な思いがあった。

 しかしね・・・1918年の米騒動の史実を考えてみても分かると思う。富裕層がいかにゲートを設けても、格差が臨界点に達した時にいかに従順な日本人でも米倉を力尽くで破った事実があることを考慮した方がよいかもしれない。

 ゲートで排斥するだけではなく、ある一定の調和を求める方がいいのかなと思う。その意味で、蹴落としてでも富裕になるよりは、庶民の中で暮らすことを選びたい。

 そんな格好いいことを言いながらも、全然、持ち家がある人がいいなと思うし、ひがみっぽいのが私だけどね(^-^)